天領
倉敷川を中心とする倉敷一帯は中世までは海の中でしたが、戦国時代末期から干拓による田地の開発が進め、慶長5年(1600年)には備中国奉行領となり、松山藩の玄関港として物資の輸送中継地となります。そして、寛永19年(1642年)には『天領』(幕府直轄地)となり、代官所が置かれました。当時の倉敷川は潮の干満を利用して多くの船が航行し、川沿いには、塗屋造りの町家や白壁土蔵造りを中心とする町並みが形成されていきました
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